転職した先の製薬会社があり得なかったのでシェア!

MRエピソード!

だいさくさん

表題、私が転職した2社目での大失敗した事例についてお話させて頂きます。

残念な話ですが、現在その会社は成長してますが、

正直その会社の中でもその領域は本当に有り得ない組織でした。

2016年に某大手外資メーカー(希少疾患)から転職し給料も大幅に上がり、

望んでいた今以上の専門領域での転職で、

意気揚々とステップアップのため東京に行った事を今でも本当に後悔しています。

しかし、今思えば人としていい経験になったとは最近感じている所ではありますが、

本当に苦い思い出ですが早々に去って良かったです。

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入社日同じ領域で入った方は数名で、20代から40代まで様々でした。

研修初日は特に何もなくオリエンテーションで終わり、

最初は普通の会社だなぁ~と思っていましたが、

我々は翌日から激動の半年が始まるなんて全員が考えてもいませんでした。
(結局数カ月で辞めました)

翌日から、出社するなり研修部の方から「挨拶に行きます」と告げられついて行くと、

まずは本部長へご挨拶、

まぁこれは当たり前の行事で我々は初日だけで良いだろうと、

勝手に思っていたのが悲劇の始まりでした。

なぜか毎日本部長にご挨拶、そして無視される日々

2日目の研修前、開始前に研修担当者から本部長に挨拶行きましたか?と聞かれ

「我々は今日はまだです」と告げると、

「毎日必ず行った方がいいですよ」と軽く言われた記憶が今でも鮮明に覚えています。

今思えばその研修担当者もいい歳こいて嫌がらせするとんでもない奴だったのです。

それからと言うもの、

研修担当者から「部長が今年の中途入社の奴は挨拶がない」と言う勝手なレッテルをはられ、

いきなりその部長の直近の手下(東京エリア責任者)から、

入社2日目で呼び出しをくらう羽目になったのです。

我々4人でその東京責任者に初めて会うにも関わらず、

「何でお前らは部長に挨拶がないんだ」といきなり怒られ、

こちらが謝っても相手は終始無言で4人で立ち尽くしてた思い出があります(笑)。

そして、翌日から我々は本部長、

その手下に毎朝挨拶に行くようにしましたが、

時すでに遅しで挨拶しても無視され続けました、、、(手下の方)。

研修も最悪であった

またその会社の中でもその領域は少数部隊のため、

ありもしない噂がすぐに広がる最低な組織だったのです。

まず研修ですが、

その意地悪な研修担当者(元東京担当MR)が行い一週間程、

知識確認テスト、インプット、アウトプットの練習がありました。

まぁこれはどの会社でも当たり前で、

私は特にアウトプットに関しては知識は最初なので当然ながらないものの、

今までの経験から自信はありましたが、いや、しかし!でした。

その領域では初めてのインプットですが、

いきなり研修者から質問の嵐で、

「なぜですか?なぜそう思いますか?なぜそうなるんですか?のなぜ攻撃」が始めったのです。

我々はその領域が初めてだから聞かれてもわからないし、

もちろん今までの経験から予想で答える事はできましたが、

予想で答えると、

なぜあなたはそう思うんですのWHY攻撃が酷すぎてインプット研修にならなかったのです。

製品研修もWHY?

これはこの研修で1週間ずっと続くのですが、

この領域では「絶対ワード」で常に意識して、

その製品を売るために考えなければならない言葉だったようです。

その製品の周辺知識のインプットが終わり、

製品研修に入ってからもWHY攻撃の始まりです。

その製品は発売後それなりの期間が経過し、

特に競合製品もなく何百億の市場をとっているものの、

今後の伸びが鈍化している製品だったのです。

我々はどうやって売るかも正直わからなかったのですが、

会社、研修担当者としては新たなアイデアが欲しい考えのようでしたが、

正直研修担当者からのWHY攻撃に疲れ果て、

知識テストの後も正解するまで帰宅できず21:00を過ぎる日もありました。

研修最終日も最悪




研修最終日にアウトプットテストがあり、

私の直属の上司が来て我々4人のプレゼンスキルを評価するシステムでした。

トップは私からスタートし、ある程度は喋れていたと自負はあったものの、

今思えば上司のあの時の一言で辞める覚悟は既にできていたのかもしれません。

いきなり、「お前何回行ったら気が済むんだよ、スーツの前ボタンが止まっていない」

からスタートし、棒読みだとか、理解していないのオンパレードでした。

私もMR歴11年もありますしある程度理解できていましたが、

正直初日からの「挨拶ない事件」、「WHY研修」で身も心も疲れ果てていたのかもしれません。

私の中途同期で入社した年配の方も同様に様々な事を言われて落ち込んでおり、

その後に我々で飲みにいった記憶があります。

配属後も悶々とした気持ちがあり上手くいかない

配属してからは、先輩方とのOJT(一か月)東京やローカルなどと様々行かせて頂き、

中には良い先輩もいらっしゃいましたが、皆さん自分を守るが精一杯の様子でした。

初めての東京での運転で、

先輩との待ち合わせに(30分程)遅れる事もあったりで、

この時期は本当に全てがうまく回らなかった時期だったと感じています。

案の定、試用期間が3ヶ月あるのですが、

人生で初めての3ヶ月延長されるという屈辱の結果がつきつけられてしまいました。

ちなみに、同期入社の人も使用期間が延長になりました。

私自身、別に自慢とかではもちろんなくて、

前職の時に表彰されヨーロッパ研修にも行かせて頂いたりしたのですが、

使用期間の延長は非常にショックで立ち直れなかった記憶を鮮明に覚えています。

この会社では働けない

私としてはもちろん自分の実力が及ばなかった所もあると思いますが、

「この会社では働けない」という思いも早期に芽生え、

次のステップに行く良い機会と考えてCSO(早期だったため)に転職した失敗例になります。

転職し年収も約800万→約900万程(32歳)になり、

東京都の大学病院を担当できると言う「甘いフレーズ」に誘われましたが、

個人的には「合う会社、合わない会社」ってあるんだなぁと言う事、

そして何よりもその会社のその領域は今も募集しており、

エージェントさん曰くすぐに辞める方が多いとの情報もありました。

ただ入社してみないとわからないのが実情なので仕方のない事ですが。

しかし、今は様々苦労しながらも某外資バイオメーカーにいますので、

何だかんだ恵まれていると感じています。

人間苦労した分だけ、人としても成長できた良い機会だったと考えております。

だいさくより

僕も一度転職に大失敗してるので、すごく気持ちわかります。

僕の場合は、次は明確に米系のバイオベンチャーに行くって決めていたのもあって、

我慢し続けてなんと4年間も働いてしまいましたが、

その4年間は本当に辛くて辛くてたまらなかったし、惨めな気持ちで過ごしてました。

実際米系バイオベンチャーなんてあっても受からなくて、

このまま嫌な気持ちを抱えてずっと働いていかなければならないのか?

と絶望していた日々を思い出してしまいました。

僕は当時かなりエージェントの方には助けていただいて、

その時の経験をまとめているので、

こちらもご参照いただけたら嬉しいです。

希少疾患(オーファン)系製薬会社への転職を考える人にオススメの転職サイト

おっしゃるように僕も今の会社って結構ずさんで、色々あるんですけど、

前の会社が嫌すぎたのものあって、

今の会社の全てが「前よりはるかにマシ」と思えるんですよね。

だから前の会社にいた事は本当に僕自身を大人にしてくれたと今では感謝してます。

てか、その本部長、暇すぎですね。ウケますね。

でも今が幸せそうで本当に良かったです!

貴重なエピソードありがとうございました!

ではまた!




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